entertainmentbox's diary

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シブリの未来

スタジオジブリといえば日本を代表するアニメスタジオだ。ジブリと聞けば誰もがひとつかふたつアニメを挙がられるほど認知度は高い。興行収入300億を越えた『千と千尋の神隠し』など、アニメ界だけでなく映画界の中でも確固たる地位を築いている。

その原動力となっているのがなんと言っても“宮崎駿”の存在だ。原案からキャラクターデザイン、脚本、原画、動画などなど、様々な分野をこなす“宮崎駿”の存在はなくてはならないものだ。しかし、その宮崎駿も72歳となった。既に定年退職をしてもいい年齢だ。

高齢という障害に勝てる人間は存在しない。宮崎駿自身もドキュメンタリーの中で以前ほどの熱意や創作意欲を抱くことが難しくなったと語っている。実際2008年の『崖の上のポニョ』以降はしばらくの間長編アニメーションを発表してこなかった。

その間に出たのが『借りぐらしのアリエッティ』と『コクリコ坂から』だ。それぞれ監督を米林宏昌と宮崎吾朗がこなしている。結果はそれなりに残したが、やはり宮崎駿には到底及ばなかった。何よりもこのふたつの作品は胸に訴えてくるものが何ひとつないのだ。『風の谷のナウシカ』や『もののけ姫』は見終わったあとに考えさせられた内容だったし、他の宮崎駿監督作品も見終わったあとに心が動いた。

それは恋愛っていいなだったり、空を飛びたいだったり、そういう他愛もないことでも胸に響いてくるものがあったのだ。

けれど宮崎駿が監督をしていない作品では、ただ絵がハイクオリティで動いているだけだった。内容なんてあってないようなもので、絵が綺麗だなとか、音楽がいいなとかそういうことは思っても、“ああ、いい内容だった”という感想は出てこなかった。

映画に何よりも大切な“テーマ”が見えてこないのだ。

特に宮崎吾郎は悪い。個人的に好きになれない。スタジオジブリは大好きなので、創作ドキュメンタリーのDVDや雑誌などに目を通すのだが、そもそもこの宮崎吾郎のアニメに対する姿勢はなっていない。取材の中で宮崎吾郎は「宮崎駿に教えを請うことはない」と言ったのだ。この言葉を見た瞬間にがっかりした。先人に教えを請うことは恥ずかしいことでも悪いことでもない。むしろ必要なことだ。なんのために宮崎吾郎はアニメをつくっているのか。それはきっと良いアニメをつくるためだ。大勢の人に感動を与える、そんなアニメをつくるために宮崎吾郎はアニメを製作している。なら、日本を代表するアニメ監督の宮崎駿から色々なことを吸入しなければいけない。そこにはプライドもくそも関係ない。良いアニメをつくるためにできることはなんでもする。それこそが監督にとって必要なことであるはずだ。「宮崎駿宮崎駿で僕は僕です」なんて甘ったれたことを言って、今までスタジオジブリ宮崎駿が築いてきたノウハウや心構え、技術を教わらずに自分の好き勝手やっている人間に魅力的なアニメが製作できるわけがない。またドキュメンタリーの中で「スタジオジブリ以外でアニメ監督をするつもりはない」と断言した。あほかと。完全な親の七光り。アニメ監督になりたい。どんなに劣悪な環境でもいいから自分のうちに蓄えていることをアニメを通してみんなに伝えたいと熱い思いを持っているアニメ監督が沢山いるなかで、宮崎吾郎の甘ったれた発言には呆れるしかない。

結局今年2013年には宮崎駿監督の新作が公開されることになった。

今のスタジオジブリ宮崎駿がいなければ何もできないただの技術だけを持ったアニメ制作会社だ。

今年は4月10日より文春ジブリ文庫も刊行されている。宮崎駿の作品を食いつぶしているだけだ。やはり宮崎駿が一度言った通り「ジブリは一度解体するべき」という言葉は正しかった。